新・快楽主義宣言

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<<   作成日時 : 2017/05/03 07:38   >>

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○監督 ビル・コンドン
○出演 エマ・ワトソン ダン・スティーヴンス
○鑑賞日 5月1日
○劇場 TOHOシネマズ西新井
○評価 ★★★★☆

<パンフレットより>

画像


オープニングからミュージカル映画としての盛り上がりもあったし、村の舞台セットとか衣装なんかも良くできているなと感心しながら、最初のうちは楽しんで観ていた。

けれども少し経ったところで、“いい人”であるはずの王子は、まさに自業自得で魔女に呪いをかけられたのだということが分かり、そんな王子と恋をしてハッピーエンドなんて、やっぱり『権力と財産がある人間が一番素晴らしい』という、いかにもアメリカ人が好きそうな話だなと思って(テレビのバラエティ番組でも、この映画を観たタレントたちが絶賛していたこともあり)、どんな風にこのブログで酷評してやろうかと考えるようになっていた。

しかし、さらにその2時間後、僕は、城の屋根の上でガストン(ルーク・エヴァンス)に追い詰められた王子とベルの奮闘を普通に応援し、呪いが解けて輝きを取り戻した城で、みんなが踊りながら喜び合うエンディングに素直に感動してしまうこととなり、思わず「ディズニー恐るべし」と心の中でつぶやいてしまった。

確かに細かな部分でかなり強引な展開となっているところもあるけれど、それは元々おとぎ話なのだし、まさに“ディズニーらしい”と最初から織り込み済み。
一方、僕の不満の原因となった王子のパーソナリティーについては、映画の中盤で王子は本当は優しい心の持ち主で、でも母親を早くに亡くし、傲慢な国王に育てられ冷たい性格に変わってしまったというフォローが入り、呪いをかけられて野獣となったことで性格がリセットされ、ベルと出会った事によって、本来の人を思いやる心を取り戻したという絶妙なリカバリーが施されている。
また、対照的にガストンについては、人は集団になると無知で無責任になってしまうという、人間の弱く醜い部分を際立たせることによって、その扇動者となるガストンを徹底した悪役に仕立て上げる。
これで観客の気持ちは、僕のような批判的な見方をしていた人間も含めて自然に王子とベルの応援団にさせられてしまう。
正直なところ、王子だけでなく、召使たちの呪いも解け、イアン・マッケランやユアン・マクレガーが登場したシーンには鳥肌が立つぐらい感動してしまい、美しく蘇った城での大演舞のシーンを観ながら、確かにこの映画は実写版ディズニーの中の最高傑作かもしれないと思ってしまった。

ヒロインのベルを演じたエマ・ワトソンは、もちろんあの『ハリー・ポッター』シリーズのハーマイオニーその人なのだが、今回の彼女は、そのイメージに足を引っ張られることも無く、見事にベルになりきることに成功していたと思う。
さらに個人的に一番気に入ったのは、イアン・マッケランが演じた時計の執事ゴグスワースが人間に戻ったシーン。
再会を喜んで抱きついてくる自分の古女房(?)に振り回されながら、「(やっぱり)時計に戻してくれ!」と叫ぶところは思わず笑ってしまった。

終わってみればさすがディズニー、全体的にとても楽しい映画で、素晴らしいエンターテイメントだったと思う。

ただ、あえて一つだけひねくれた見方を許してもらえるなら、ガストンの最後はあれで良かったのかということ。
例えば改心し、ベルを諦めると同時に“本当の自分”に目覚め、相棒であるル・フウと仲良く暮らしました、というのはどうか。
LGBTの人権や権利が認められるようになった今の時代に、天下のディズニーがそんなことに拘って、結局、“悪い奴は死ねばいいんだ”という結末にしてしまう方が子どもたちへのおとぎ話(ファンタジー)として相応しかったのか、僕にはどうしてもそうは思えない。

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