本来は、「2本で1作品」という映画、例えば「レッドクリフ」もそうだけど、やはり両方見て初めて最終的な判断をすべきだと思う。
『28歳の革命』を見たときに、“(2本目を見る)優先順位は低いなぁ・・・”とは思っていたけれど、何かスッキリしなくて、結局、観に行ってしまった。
でも、個人的には正解だったと思う。
僕にとっては、チェ・ゲバラは英雄でもカリスマでも、ましてや「正義のアイコン」などでは決して無く、語弊を恐れずに言えば、革マルや日本赤軍とどこが違うのかという気持ちは映画を見た後も変わらない。
だから、映画自体も特別に面白いとは思わなかったけれども、『28歳~』に比べて、今回の2時間は不思議と短く感じた。
そして中途半端だった気持ちの整理がついたという点では、満足のいく作品だったと思う。
ソダーバーグらしい演出(カメラの回し方や、B.G.M.の使い方(“使わない”という使い方)等)が随所に活かされていて、映画のメッセージ性としても前作以上だった。
確かに、キューバ革命ではなく、39歳の若さでボリビア政府軍に殺されるチェ・ゲバラの方を描きたかったという、ソダーバーグの思いが作品の作り方にもよく現れていたような気がする。
でもその上で、ソダーバーグのその“思い”が、僕たちに何を訴えかけたかったのかは正直なところ分らない。
チェ・ゲバラを僕たちに本当に、それも肯定的に理解させようとするのであれば、チェ・ゲバラがこれほどまでに革命に身を投じた理由をもっと道義的に説明するべきだ。
しかし、ソダーバーグはそれを説明するどころか、逆に頼みの綱であったボリビア共産党に見限られ、支配階級に虐げられている国民たちでさえも、そのボリビア政府軍の方の見方となり、結局、孤立してしまうチェ・ゲバラのゲリラ組織をしっかりと描ききった。
もちろんそれが事実ならば当然であるのだが、国民に支持されない革命のどこに大義があるのかと誰もが思うほど、本作でのチェ・ゲバラは、闇雲に破滅の道に突き進んでいく。
ソダーバーグは、かつてのアメリカが恐れたように死して伝説となったチェ・ゲバラを否定するためにこの作品を作ったのではないか、そんな気にまでなってしまった。
チェ・ゲバラが、本当に差別や迫害、暴力に苦しむ人々たちを解放し、自由に明るく、誰もが平等に暮らせる世界を作ろうとしたのであれば“正義のアイコン”と呼ぶに相応しいだろう。
だが、僕の目から見れば、彼は民衆の自由と平等のために戦ったのではなく、“ただ、「革命」がしたかった”のだと思えてならない。
この映画を見て、やっぱり、二部作の作品は2本とも見るものだなと思った。
その点では、見応えのある面白い作品であったことに間違いはない。
そしてもう一つ、僕が得をしたと思えるのは、A.ウォーホルのシルクスクリーンで有名なチェ・ゲバラの顔がプリントされたTシャツやポスターを、もうこれから街で見かけても、決して「格好いい!」とか言って買ってしまったりしないですむかなということだ。
ブログ気持玉
この記事へのトラックバック

この記事へのコメント
miyo
hiro
僕もチェ・ゲバラのことは、この映画を見るまでほとんど何も知りませんでした。そういう意味では、とても勉強になったと思います。
ベニチオ・デル・トロのチェ・ゲバラ役は確かにぴったりだと思います。写真を比べると実はそんなに似てはいないのですが、雰囲気的には他の役者は考えられないですね。